日本人なら誰でも知っていて、外人が日本を思い浮かべるときは富士山、サムライ、天ぷらと口にする富士山!!

でも、意外とその姿以外は知らないことが多い山!!

そんな富士山は話しのネタには最適な山なのです。
ちょっとした富士山のことを知っていると困らない雑学

 

内容

■富士五湖のワカサギ釣りは最近のになってから
■江戸時代から富士山は観光地だった
■一番最初に富士山に登ったのは誰?
■富士山に最初に登った女性とは?
■雪がつもる富士山に挑戦した初めての人物は?
■富士山の信仰の主神が女神のコノハナノサクヤビメ?
■浅間神社の歴史
■世界的に珍しいハリモミ林
■どのように忍野八海の誕生したか?
■湖底にハリモミ林が沈む山中湖
■昔から利用されている富士山の風穴・氷穴
■富士山に行くことができなかった人の山開き
■富士山に現れる巨大な人影

 

■富士五湖のワカサギ釣りは最近のになってから

富士五湖の観光のひとつとしてワカサギ釣りが楽しめることで有名です。でもワカサギはほんの100年前までは富士五湖には生息していなかった。もともとは1919年に茨城県からもってこられたのです。現在、釣られているカワサキは繁殖したものなんですね。

 

■江戸時代から富士山は観光地だった

富士山を登ることはもともとは冨士信仰として信仰のために登るものでした。江戸時代中期以降になると旅行ブームがありそのなかでお伊勢参りや富士山に登るということが流行ったのです。

富士山に登ることは富士講と言われて江戸の人にはかなりの人気でした。皆で集まって集団で旅行をするために講と言われる集団を作りその中で先達と言われる指導者に導いてもらいながら富士山に登りました。

もともと富士講の目的の富士山信仰なのですが、行く人たちは多くは先々の観光などの遊びメインであったようである。この時代の富士山は、観光地だったために道中が汚れており、地元の人には富士は登るものではなく遠くから見るものといわれていた。

実は、富士山がきれいに整備されたのはごく最近で、それまでは登る人が何も気にせずにゴミを捨てている時代がありました。

 

■一番最初に富士山に登ったのは誰?

富士山に登ることは古くからおこなわれている。伝承などでは、聖徳太子、役行者、空海、法然など歴代の有名人が登ったと伝えられ、この伝承では聖徳太子が推古6年に黒駒にのって空を飛び三日間で戻ってきたとされています。

役行者も同じような伝説があり、伊豆で捕らわれているときに夜な夜な抜け出しては富士山に登っていたという話もあります。

これだけ著名な人物が登っているとされる富士山ですがしっかりと記録として残っているの、は実は9世紀の僧の「未代」といわれる人物で、富士山に何百回も登り頂上に大日寺を立てたとされている。

 

■富士山に最初に登った女性とは?

古い時代から多くの山が女性の登ることを禁止している場所がたくさんありました。理由として、山の神が女性に嫉妬するためだったり、霊山で神聖な場所であるためなどの理由で禁止されていた。

富士山の場合も霊山として、女性が富士山を登ることは禁止されており富士山の低い位置までしか上ることができなかった。そんな中、江戸時代に”たつ”という女性が女性の富士山登頂の前例を作るために男装をして6人で富士山に登った。

登った時期は富士登山が終わった時期で、登っている途中まで暑い日差しがさしているために上着を置いていくと頂上付近では雪が降っるという困難を乗り越えて女性初の富士山の登頂を果たした。

”たつ”という女性は結婚後”高山たつ”という名前になっており、まさに日本一高い富士山に挑むべき名前の人物だった。

正式に女性が富士山に登頂できるようになったのは1872年(明治5年)の3月に許可された。

 

■雪がつもる富士山に挑戦した初めての人物は?

富士山を登頂するには山開きをしている短い時期にしか挑戦することができない。それは訳は富士山の雪が溶けて登れないために登ることができる期間だ短い。

それだけ雪山は危険だということだ。その危険な雪山になった富士山に初めて挑戦した人は実は外人の人、それはイギリスのベイヤード大尉が1871年(明治4年)4月に1人の日本人の少年を連れて挑戦したのが最も古い記録になっている。

 

■富士山の信仰の主神が女神のコノハナノサクヤビメ?

霊山である富士山は信仰の対象として仏教にも神道にも扱われており、仏教なら3人の仏が頂上にいるといされています。昔の富士山の絵には富士山の頂上の三つの峰に一つ一つ仏様がかかれているものがありました。

神道の場合は、コノハナノサクヤビメが主神とされている。

コノハナノサクヤビメが主神とされるのは、旦那のであるニニギノミコトと関係をもって妊娠したことがニニギが妊娠したのは他の者の子供ではないかと疑います。

疑いを晴らすために建物に籠りその建物に火を放ち、その燃える火の中で3人の子供を産み疑いを晴らしたが、ニニギは疑ったがってしまったことに耐えられずに富士山の火口に身を投げた。

コノハナノサクヤビメは火傷もせずに子供を産んだことから火を鎮める力を持っていると考えられた事によって火を鎮める水の力を持つ女神として浅間神社にまつられることになった。

 

■浅間神社の歴史

浅間神社は富士山には神が宿ると考えられており、1度噴火すれば多大な影響があるために噴火をしないように富士山に宿るとされる浅間大神を鎮めるために紀元前27(垂仁3年)垂仁天皇が富士山の麓に祀ったのがはじまりとされている。

いまある建物は徳川家康が関ケ原の戦いの勝つことができたことのお礼として、現代の二階建てで美しい朱色の建物に作り替えられました。現在の浅間神社は国の重要文化財となっています。

 

■世界的に珍しいハリモミ林

富士山の麓に世界的にも珍しい林が存在する。

それがハリモミの林。

マツ科の常緑高木であるハリモミ自体はあまり珍しい気ではないく混交林自体もいくつもあるがハリモミだけの林というのはとても珍しくその林は天然記念物としても登録されている。

 

■どのように忍野八海の誕生したか?

富士山の周辺にある8の小さな池をまとめて忍野八海といいます。この池は富士山の湧水が吹き出る池として有名で、もともとはこの池があった周辺一帯に宇津湖とよばれるおおきな湖がありました。

その湖は富士山の火山活動によってでた火山流で分断され山中湖と忍野湖にわかれたのです。その後、忍野湖が枯れていき忍野湖の湖底にあった湧泉が残ったのが忍野八海になりました。

忍野八海「銚子池」「出口池」「湧池」「菖蒲池」「濁池」「鏡池」「御釜池」「底抜池」で、この池はすべて国指定の天然記念物に指定されている。

 

■湖底にハリモミ林が沈む山中湖

富士山周辺の池や湖の多くが富士山の火山活動の影響を受けて変化していっている。その変化は、湖を生み出したり、分断したり時には忍野八海ができる原因のように枯れる原因になることもある。

その中で山中湖はもともとは宇津湖が火山流の影響によって生まれた湖で山中湖ができるときに富士山の火山流によって水の流れが変えられることで山中湖の湖底にハリモミの林がしずむことになった。

 

■昔から利用されている富士山の風穴・氷穴

富士山にはまだ見つかっていな風穴や氷穴の洞窟が数多くあるといわれている。
今見つかっているもので有名なのが「富岳風穴」「鳴沢氷穴」でどちらも山梨県にある。

こういった洞窟は年中温度が低く平均気温が3度前後ほど、氷穴の中には大きな氷柱が存在しており、年中自然の氷を見ることができる。そのため、冬のうちの集めた雪を保管して夏に献上品としてあつかわれていた。

 

■富士山に行くことができなかった人の山開き

江戸時代中期ごろには、旅行が流行り富士講として富士山に登るツアーもありましたが、旅行が流行ったといっても今のように気軽に行けるようなものでありません。まして、女性や子供は車がない時代のためずっと歩きとおしで体力的にも大変な旅行になるようでした。

そんな簡単に富士山に行くことができない時代には、江戸の各地に存在していた富士塚と言われる富士山を模して作られている小山の塚を登ることで本物の富士山に登ったのと同じご利益があるとして、江戸の各地に100近く富士塚が存在していたといわれる。

現在では、ほとんどが残っておらず残っているものも保存のために登れる人を制限されている。

 

■富士山に現れる巨大な人影

日本の妖怪にだいだらぼっちという巨大な妖怪がいるといわれています。その妖怪の足跡が湖になったという伝承も存在するほどに大きな妖怪、この妖怪の原因といわれるのブロッケン現象によって広がったといわれています。

ブロッケン現象とは日の光によって生まれる影が霧に投影されることで巨大なものが見える現象でこれが山の頂上にいる人で発生したことにより、それを見た人が勘違いしたといわれる。

この現象は富士山でも観測されています。

富士山でのこの現象の呼び方は御来迎といい。
日没や日の出などに陽光を背にして立つ発生することがあり、後光のような光の環が浮かんで見える。